常識から逸脱した記事

http://mainichi.jp/select/today/news/20100510k0000m010113000c.html
普天間:米大使、小沢氏と極秘会談「鳩山は信用できない」
2010年5月10日 2時35分 更新:5月10日 9時14分

 鳩山由紀夫首相が米軍普天間飛行場沖縄県宜野湾市)移設問題で沖縄入りした4日の数週間前の4月上旬。民主党小沢一郎幹事長とルース駐日米大使が東京都内で極秘に会談した。ルース氏側からの申し入れだった。「『鳩山首相は信用できない。岡田克也外相じゃ話がまとまらない。北沢俊美防衛相じゃ話にならない』と大使は言っていた」。小沢氏は4月18日、盛岡市内で会食した複数の関係者に会談内容の一部を明かした。


毎日のこの記事はオフレコ取材を元に構成されているようだ。
小沢一郎幹事長とルース駐日米大使の階段当事者から直接取材したものとは思えない。唯一情報源らしい名前は高嶋良充参院幹事長だが、それも伝聞かも知れない。

もし本当に記事通りの状況だとしたら、政権政党として無責任極まりない話である。当然関係者がそれを外に出すのはオフレコとはいえ大問題である。
常識的に責任のある立場の人間はこういう言質を与えることはしない。


政治家や政治家に近い立場の人間がなんの策略もなくこんなことを言っているとしたら、日本の将来はどうしようもない。


つまり、この記事は憶測ででっち上げられていると考えるべきだ。


こういう記事があって、支持率が歴代最低とあって、景気の先行きも怪しいとなれば、普通の国なら暴動になる。
マスコミはおもしろおかしく煽っているが、そのネガティブな記事が全体のトーンをさげていることを理解しているのだろうか。

政治が情けないのは確かだが、「出口無し」の論調を垂れ流すマスコミの責任は大きい。

真に受ける人は多くなくともこれだけやられと誰でも嫌気がさす。

『池上彰の学べるニュース』

5/5にテレ朝系で放映した『池上彰の学べるニュース』は地上波には珍しく、冷静で偏りのない内容だった。
「小学生でも理解できる」をコンセプトにしてるだけあって教科書的な内容だが、メディアリテラシーを効かしている人には固定概念と偏向にまみれた評論家的言説を批判していることがわかる。
北朝鮮の核開発』のコーナーでは圧倒的な米軍の軍備力を恐れる北朝鮮の立場を明確に説明している。世界征服をねらう悪の組織という北朝鮮のイメージがいかにマンガチックな設定であるかよくわかるのだ。
普天間基地問題』では米軍の基地が存在することに対して本質的な疑問を持つように展開していく。安全保障・基地ありきという前提に立っていないところがクールで好ましい。

おバカタレントのおバカな質問が国民の視野に立っているようで面白い。
3時間SPだったが評価できる番組だった。

抑止力

学んだとされる米軍海兵隊の「抑止力」、一体何を学んで結論に達したか。
持論の「駐留無き安保」がひっくり返るほどの理由はどこにあった。


外相、防衛相、官房長官、この三人は最初から国外はないと決めていた。 政治資金問題で幹事長を動けなくして官僚やマスコミは総動員で官邸に圧力を掛ける。
これでは、首相一人ががんばっても埒があかない。

民主主義にほど遠い権謀術数によってこの国の政治は動かされるのか。

改憲案を危惧する

憲法の日である。

改憲議論もこのところ下火だが、二大政党には改憲するつもりがあることを忘れてはいけない。

憲法改正案は5年前にその頃与党だった自民党から出ている。谷垣が今日した談話でもこの改正案は生きているようだ。
与党民主党も同じ年改正案ではないが提言という形で新憲法の方向性を発表している。
自民党改憲草案の中身は、「権力を制御する規範」から「国民を支配する規範」に変えられている。
憲法前文にある「わが国全土にわたつて自由のもたらす恵沢を確保し」という思想は見あたらず、かわりに「日本国民は、帰属する国や社会を愛情と責任感と気概を持って自ら支え守る責務を共有」と「愛国心」思想に切り替えている。つづく「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し」という権力を規制する部分も全く欠落した。
また、「われらは、全世界の国民が、ひとしく恐怖と欠乏から免かれ、平和のうちに生存する権利を有することを確認する」という理念が削られ、「圧制や人権侵害を根絶させるために、不断の努力を行う」と変えられている。「不断の努力」とは何か?「他国とともにその実現のため、協力し合う。」ということのようだ。

自民党憲法草案
http://www.jimin.jp/jimin/shin_kenpou/shiryou/pdf/051122_a.pdf

民主党の考え方は条文化されていないので比較しにくいが、例えば「共同の責務」という概念は「国家と社会と個人の協力の総和」ということのようで、自民党案の「国民の責務」と同じ思想に基づいている。
また、平和主義に関しては、武力の放棄も交戦権の放棄を盛り込まず、「制約された自衛権」として国連憲章51条が規定する「自衛権」を規定している。これには「集団的自衛権」が含まれており、国連多国籍軍において、国際紛争に参加する道を開いている。

両案とも現憲法の重要な理念を大きく変える改憲案であり、権力に都合の良いように変えられていることに国民は気付かなくてはならない。

民主党憲法提言
http://www.dpj.or.jp/news/files/SG0065.pdf

最高裁判事としての資質を疑う

大阪母子殺害事件、上告審判決の要旨
(2010年4月27日23時27分 読売新聞)から

最高裁第3小法廷が27日、大阪母子殺害事件で言い渡した判決の要旨は以下の通り。


 【多数意見】

 刑事裁判での有罪認定にあたっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要で、その立証には被告が犯人でないとすれば合理的に説明できない事実が含まれていることを要するべきである。ところが、本件で認定された事実はこの点を満たすとは認められず、1審・大阪地裁、2審・大阪高裁で審理が尽くされたとはいい難い。

 1審判決は、被告が事件当日に現場マンションに赴いたという事実を最大の根拠とする。その事実を認定した理由の中心は、マンションの階段踊り場の灰皿に残されていたたばこの吸い殻に付着した唾液(だえき)のDNA型が被告のDNA型と一致したことである。

 この点について、被告は1審から、被害者の森まゆみ夫妻に自分が使っていた携帯灰皿を渡したことがあり、まゆみがその携帯灰皿に入っていた吸い殻を踊り場の灰皿に捨てた可能性があると反論していた。

 2審判決は、ビニール製携帯灰皿に入れられた吸い殻は通常押しつぶされて灰がまんべんなく付着して汚れるが、今回の吸い殻はその形跡がなく、もみ消さないで火がついたまま捨てられて自然に消火したなどとした。吸い殻が茶色に変色していた点は、フィルターに唾液が付着したもので自然だとした。

 しかし、ビニール製携帯灰皿に入れられた吸い殻が常に2審判決の説明する形状になるか疑問がある上、そもそもこの吸い殻がビニール製携帯灰皿を経由したと限定できる状況でもない。被害者宅からは被告のものの可能性がある箱形の携帯灰皿も発見されている。また、吸い殻のフィルター全体の変色を唾液によると考えるのは極めて不自然で、変色は、吸い殻が捨てられた時期が事件当日よりもかなり前だった可能性を示すものとさえいえる。この問題点について、2審判決の説明は採用できず、合理的に説明できる根拠は見当たらない。

 そうすると、事件当日の自分の行動に関する被告の供述があいまいで不自然な点や変遷がみられるという1審判決の事実の評価とは関係なく、被告が事件当日に現場マンションに赴いたという事実は認定できない。

 ところで、踊り場の灰皿には72本の吸い殻が存在し、その中にはまゆみが吸っていたたばこと同じ銘柄のものも4個あった。これらの吸い殻からまゆみのDNA型に一致するものが検出されれば、まゆみが携帯灰皿の中身を捨てた可能性が極めて高くなる。しかし、この点について鑑定を行ったような証拠はない。被告が残したとされる吸い殻の位置も重要なのに、採取した警察官に記憶がないなど、証拠は十分ではない。さらに、吸い殻の変色は大きな問題で、被告が事件当日に吸い殻を捨てたとすれば、それから採取までの間に水にぬれる可能性があったかどうかの検討が必要だが、これも捜査が十分ではない。吸い殻が事件当日に捨てられたかどうかは、被告が犯人と認められるかどうかの最も重要な事実なのに、1、2審で審理が尽くされたとはいい難い。

 その上、仮に事件当日に被告がマンションに赴いた事実が認められたとしても、認定された他の事実を加えれば被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実が存在する、といえるかどうかにも疑問がある。例えば1審判決は、被告は犯行が行われたとみられる時間帯に携帯電話の電源を切っていた不自然さなどを指摘しているが、事件が突発的な犯行とされていることに照らせば、それがなぜ被告の犯行と推認できる事情となるのか、納得できる説明がされているとはいい難い。その他の点を含め、1審判決が掲げる事実のみで被告を有罪と認定することは著しく困難といわざるを得ない。

 そもそも、このような1、2審判決は、「被告が犯人でないとすれば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難な)事実関係」が存在するか否かという観点からの審理が尽くされたとは言い難い。事案の重大性からすれば、このような観点に立ち、1審が有罪認定に用いなかったものを含め、他の事実についても更に検察官の立証を許し、総合的に検討することが必要である。

 以上の通り、1、2審判決は、吸い殻に関する疑問点を解明せず、十分な審理を尽くさずに判断した結果、事実を誤認した疑いがあり、破棄しなければ著しく正義に反する。よって、本件を1審・大阪地裁に差し戻す。

 【藤田宙靖裁判官の補足意見】


 1、2審判決は、被告が事件当日に立ち寄った場所について一つも確定的なことを述べていないことなど、一つ一つの間接的な事実を総合評価すれば有罪が立証されるとする。しかし、一般に、一定の事実を想定すれば様々なことが矛盾なく説明できるという理由のみで、その事実が存在したと断定することは極めて危険だ。「仮説」を「真実」というためには、それ以外の説明はできないことが明らかにされなければならず、刑事裁判でも、この基本的枠組みは十分に尊重されなければならない。

 【堀籠幸男裁判官の反対意見】

 吸い殻の写真など変色の状況に関する証拠から、事件に近い時期に吸われたものと考えるのが相当だ。また、ビニール製携帯灰皿に吸い殻を入れて持ち運べばふたのスナップを止めるときなどに吸い殻は押しつぶされたようになるはずだが、その形跡もなく、吸い殻が直接灰皿に捨てられたというべきである。多数意見は客観的証拠の評価を誤っており、賛成できない。

 被告は事件2日後の4月16日には警察官からアリバイについて事情聴取され、妻に「14日のことは何一つ覚えていない。アリバイがない」と話している。被告は極めて几帳面(きちょうめん)だが、アリバイに関する供述は極めてあいまいで虚偽といわざるを得ない。被告は犯行時刻にどこにいたかという事実を隠しており、犯行現場にいたという事実が推認できる。

 刑事裁判での事実認定は、社会生活で形成される経験則に基づいて行われ、一般国民も十分なし得る。裁判員裁判は国民の健全な良識を刑事裁判に反映させようとするものだから、裁判官がこれまで形成した事実認定の手法を裁判員がそのまま受け入れるよう求めることは避けなければならない。「被告が犯人でないとすれば合理的に説明することができない事実関係」という概念を用いることは、裁判員裁判が実施された現時点では相当ではない。

この事件について参照できるサイト

http://fukutomim.iza.ne.jp/blog/entry/88853/


事件についてザッと調べてみたが、事件に至るまでの被害者家族の生活や容疑を掛けられた人との関係についてほとんど明らかになっていない。ただし、わかっていることを並べると二時間ドラマ向きなシナリオを作ることができる。
どんな、環境にあっても事件が起きることはある。被告が真犯人である可能性もあるが、捜査線上に上がらないだけで他に容疑者がいても不思議ではない印象だ。

堀籠幸男裁判官の反対意見は「アリバイに関する供述は極めてあいまいで虚偽」であることだけで事実認定している。犯行現場近くに残されたとされる被告のDNAも、発見された時点での客観的証明が為されておらず、でっち上げようと思えばできる証拠である。即ち、客観的な証拠は一つもない。
もし、この事件程度の事実認定が刑事裁判で採用されるのなら、いくらでも犯人を作ることができるだろう。
「怪しいと思ったらそいつは真犯人」
では、たまったもんじゃない。

最高裁判事としての資質を疑う言動である。

ソープの元締めを逮捕!?

売春防止法違反:容疑の角海老グループ創始者逮捕 警視庁
2009年7月2日 13時14分

 東京・吉原地区で売春をさせたとして、警視庁保安課と浅草署がソープランドやボクシングジムなどを展開する「角海老グループ」創始者、鈴木正雄容疑者(76)=東京都豊島区北大塚2=を売春防止法違反(場所提供業のほう助、資金等の提供)容疑で逮捕していたことが分かった。保安課によると、鈴木容疑者は容疑を大筋で認めているという。

 逮捕容疑は、5〜6月、売春場所になると知りながら、客に個室浴場の「角えび本店」と「三浦屋」(いずれも台東区千束4)を使用させた。店舗責任者らに1人当たり10万円を外渉費として提供した疑い。【町田徳丈】

ソープが何であるかは周知のこと。時々摘発があることは聞いていたが、未成年者や不法入国者の就労が目立ったときと思っていた。しかし、事情は違うようだ。渋谷の老舗ホテトルも最近摘発されたがその理由もわからなかった。
ソープにしろ、デリヘルにしろ、警察はその辺りの情報をしっかりつかんでいる。やろうと思えばいつでも摘発できる態勢にある。そして、ときどき示威的に摘発する。
「そんなのインチキじゃ〜ん。」(仕事、メディシン、ろっけんろーから引用)
この情報はたかむら嬢のサイトがくわしい。さらにここにはこんなことが書いてあった。

2009-06-10 吉原では何が起こっているか
ガサ入った当日、どうもテレビカメラらしきものを担いだ人物が角海老さんに入って行ったという目撃情報を聞いているので、もしかするとそう遠くないうちに、テレビの番組改編期恒例の警察タイコモチスペシャル番組にて、摘発の様子なんぞを放映するのかも知れませんなぁ。

風俗やって生きてるやつの人権なんてどうでもいいんだろうね。侮蔑ネタに使うにはもってこいなんだろう。ひどい話だ。



オレが今心配してるのは民主党が政権を取って、やたらと健全性を押し付けることになりはしないかということだ。
彼女のブログにこういうのがあった。

ここは薮の中
実際はカタギ女性の皆さんもそこまで風呂屋とそこに出入りする人々を目障りに思ってなくたって、ほら、親が未曾有の健全性を有してないと、あっちからこっちからものすごく攻められる世の中じゃございませんか。もしどこかがひとたび音頭取っちゃって「地域の皆様の声」なんかを取りまとめられた日には、手がつけられない事になるんじゃないかと。

演出された構図

「湯浅 誠」というカリスマが出てきた。共産党や左翼とは別のところから新自由主義的経済政策に対抗する活動家である。
論客ではなく活動家であるところが良い。

昨年末に襲来した経済的ダメージに経済界や政治家が右往左往し、マスコミはネタ探しだ。タイムリーなことに「派遣村」は注目に値するネタであった。政府が撃つ経済政策のカウンターパートとして注目を浴びたのである。
痩せて長身少し神経質そうな青年、どこでも薄汚れたセーターで登場し、静かな口調で語る。アジテーターとしての迫力はないが、ギラギラと声がデカいコメンテーターが目立つ中で新鮮な印象が光る。

テレビの討論番組は彼を好んで起用した。そこに新自由主義の論客を大量にぶつけて行く。あくまでマイノリティの代表に見せる演出である。隣に座らせた「雨宮処凛」はさらにそれを際だたせる絶好のキャラである。
彼はいつまでたっても貧困者の代表であり国民の代表にはならないよう仕組んでいるのだ。


国民の大半はまだ豊かな日本経済の恩恵を受けている。彼らは「保守」として今の生活を守ることに熱心なのだ。経済界はその心理につけ込んでいく。
ゆっくりじわじわと落とされていることに気付いたときはもう遅い。