性犯罪を「魂の殺人」と呼ぶ

「魂の殺人」アリス・ミラー 著 山下公子 訳 
副題が「親は子どもに何をしたか」とあるように、幼児期の親子関係と影響について書かれた本である。自分の子どもという自分より弱い特定な相手に教育あるいはしつけという名目で虐待を繰り返す無自覚な親たちの話は身につまされる。この日本でも、ごく普通に誰からの批判も浴びず行われている行為である。
極端な場合は虐待事件として表に出る。多くの人はそれが特別の犯罪ととらえるだろう。しかし、ほとんどの場合、虐待には至らない普通の事として社会はそれを容認し忘れてしまう。幼い子どもの心深くに残っていくだけである。子ども自身それを無意識の領域に押しやって隠してしまう。

さて、16年2月22日のTBS NEWS23において「魂の殺人」とよばれる「性犯罪」というような表現があったということだ。
私はそれを見ていなかったが、TwitterのTLに流れてきて変な話とおもい、引用しリツイートした。

引用ツイート
>NEWS23で、「魂の殺人」と呼ばれる性犯罪の特集。あまりにも軽い刑罰について。

私のツイート
>sexの価値をどんどん吊り上げて得をするのは誰なのだろう。それを「殺人」と同等に扱う姿勢に異常な心理が隠れている。

上のツイートに返ってきたのが
>性暴力は「価値あるセックス」じゃありません。被害者の魂にとっては殺人に等しい犯罪、と呼ぶことのどこが異常な心理でしょうか?

私の唐突なツイートを理解できないのは当然だ。自分が読んでもあまりに飛躍して見える。

性犯罪は突発的で一時的なのが前提で、虐待のように継続的に行われる事件とは違う。心に深く残されるという事ではミラーの「魂の殺人」につながるところもあるが、それだけで「魂の殺人」と呼ぶのは如何なものか。
性犯罪といってもその様態は多様でひとくくりにする事には無理がある。被害の状況も被害者に与えた心的外傷の度合いも様々である。
「殺人」は単純である。必ず被害者は死んでいる。

また、他の犯罪や事故などによって受ける心的外傷と比較すると「性犯罪」は特別なのだろうか。オトコであっても酷い暴力や痛み、絶対的な支配と被支配のの関係におかれ自由を失う絶望感と恐怖、そんな経験を思い起こす事はできるだろう。
「性犯罪」をことさら「殺人」と並べるのはどんな意図があるのだろうか。

私は直感的に「性」によってレイトが吊り上げられたと感じた。「性」を特別枠に据えている。
暴力による支配によって性をも陵辱する。そんなことは当然許されない。ヒトは暴力的性向を引き継いだままで進化した生き物だが、それを抑制する事も引き継いだ。さらに理性的に抑制する事も学んできた。
暴力を行う事は悪としていいと思っている。
しかし、それは「性」を特別枠にする理由にはならない。

被害が報告されない強姦の多くが余り抵抗する事なくセックスを受け入れているという。
暴力にあらがえば肉体的に傷ついたり痛みが大きくなることを知っているからである。本当がどうかは分からないが心的外傷も防ぐためにそれを楽しむように心構えをすると話してくれたひとがいた。あっけらかんとそんな話をする女性の心の奥まで伺う事は出来ない。そのひとは事が終わるとすぐに婦人科に行き、性病検査をしてもらってアフターピルを処方してもらったという。強姦の客観的な証拠もつくり、被害を最小限に食い止める処置もしたが、訴えでる事はしなかった。
「怖いより悔しい」と語った彼女の勇気と冷静さに脱帽した。
この強姦事件に「魂の殺人」をあてるのは妥当と思えない。 

もちろん、大きく傷つき一生引きずる場合がある事は知っている。10年以上そんな心と向き合っているある女性は、強姦事件の後引きこもりになり、しばらくして心療内科、精神科、あげくは霊媒師まで頼って先に進もうと努力している。「調子悪いよ」半ば自暴自棄なつぶやきを聞いた時にはいたたまれない思いをした。
しかし、この事件にも「魂の殺人」をあてることは出来ないと思う。彼女の魂は死んじゃいない。

性犯罪を「魂の殺人」とよんで「殺人」のように取り返しのつかない事件と印象づけるのは被害者にとっていいことなのか。暴力的な犯罪に対して警鐘を鳴らしそれを防ごうとする社会の姿勢には賛同する。
しかし「性」的であることに理由に大きく扱う程、社会はそれに影響され個人の心理にも影響を与える。性犯罪被害者は特別な被害者だと自ら決めることになりえる。
もし、性犯罪が「魂の殺人」なのであるなら、それをそう呼ぶ社会も共犯者と言えるだろう。

セカンドレイプの被害を思い起こすべきだ。調査結果がある事は知らないが性的規範が厳しい環境にいる程セカンドレイプの被害が大きいと予想している。セカンドレイプの最悪の例は処女性失った事を嘆く母親や誘惑的であったかどうかを確認する父親である。性犯罪被害を受ける前からそういう環境に影響を受けていれば、自分で自分を裁いてしまいかねない。
テレビなど行われる世の中の規範であるような振る舞いをしている連中の言説も大きく影響を与えるだろう。
ひとの意識は環境から簡単に影響を受ける。

性意識を言及するときにしばしば使う資料がある。6年ごとに行われる調査で現在でているのは2011年の資料だ。「青少年の性行動」―わが国の中学生・高校生・大学生に関する第7回調査報告―である。
ショックだったのはほぼ一貫して上昇傾向にあったデート、キス、性交の経験率推移が2005年調査より全て下降していたことだった。性向の経験率では大学男子で6ポイント、女子で14ポイント以上である。
たった6年で何が変わったのだろう。草食男子なる言葉が流行したのは確かだがその変化の理由はよくわからない。来年の調査でも下がる傾向だと何か節目があったと考えなければならない。おかしな事にならないか危惧してしまう。

もし、青少年の性的規範(男子はセクシャルハラスメントを気にかけるため必要以上に抑制する。女子は処女性)が強まる傾向なのだとしたら、性的犯罪被害による心理的ダメージも大きくなる傾向を示すかもしれない。

 日本人の国民性

 文科省所管の統計数理研究所は10月30日、国民性調査(2013年)」の結果を公表した。
「国民性の研究」統計数理研究所 http://www.ism.ac.jp/kokuminsei/table/index.htm

 様々な質問項目があり、その回答は地域・年齢・性別などに分けてみることもできる。集計表かグラフを選ぶことが出来るからし、操作はボタンをクリックするだけなので簡単。暇つぶしにはなる統計だ。

 ただし、この統計には重大な問題点がある。この統計の元になっている調査である「日本人の国民性調査とは」 http://www.ism.ac.jp/kokuminsei/index.html から、調査実施の概要を選び 回収率と調査不能の状況を確認してみる。
 回収率 http://www.ism.ac.jp/kokuminsei/page9/page13/index.html
 調査不能の状況 http://www.ism.ac.jp/kokuminsei/page9/page14/index.html

 1953年から5年ごとに13回調査しているがその回収率は83%から50%に下がっている。サンプリングに選んだ人から調査できなかった理由をまとめているのが「調査不能の状況」だ。不在や死亡病気は調査に対するバイアスを測ることは出来ないが「拒否」には何らかの意思が働いていると考えられる。そして「拒否」した人は調査不能に人のうち7%から59%に上がっているのだ。当初選んだサンプリング全体でみると1%から30%になったのである。
30年前の調査でも9%だった拒否率は30%まで上昇している。


 しかし、報道ではこれを取り上げているところはないようだ。ウェブからマスコミ大手の見出しを比べて見る。

読売 日本人の国民性は…「人の役に立ちたい」45%
朝日 若者は安定志向、シニアはチャレンジ精神 傾向くっきり
毎日 「他人の役に」45%「自分のことだけ」超え
産経 「生まれ変わるなら日本」8割超 20代で急増、  日本人は「利他的」、過去最高の45% 初めて「利己的」上回る
日経 日本人の国民性、「親切」「礼儀正しい」7割超、  「最近いらいらした」20代女性77%
東京(共同) 「日本人は親切」「勤勉」大幅増
時事 若者3割「努力報われない」=将来見通し、経済評価好転も


 これらの記事は統計数理研究所のおすすめポイントからひろっているだけ。http://www.ism.ac.jp/kokuminsei/page2/index.html


 同研究所の吉野諒三調査科学研究センター長は「震災時の秩序だった行動が国民意識に反映されていると考えられる。一方で、海外で深刻化した経済不況やテロなども国内に目を向けるきっかけになった可能性がある」と話した。(産経)
 同研究所は「東日本大震災で東北の人たちが実直な対応をしているのを見聞きしたことが結果に表れているのではないか」と分析している。(東京)
 中村教授は「景気回復に向かう社会の雰囲気を受け、将来を楽観的に考える人が増えている」と指摘している。(日経)


 しかし、集計結果を参照すると「たいていの人は、他人の役にたとうとしている」(#2.12)が増える傾向で推移している。大震災の影響で突然変わったわけではないのだ。わかりやすい理由で解釈し自分たちでまとめたデータを無視している。そもそも、調査に答えている人はずっと「人のためになることをしたい」(#2.11)と思っている人が多いのだ。
 「生まれかわりたい国」(#9.22c)という設問は、5年前との比較だけ、理由を分析できるほどデータがない。それよりも20歳代の男女を別に見ると女性は7ポイント「よその国に生まれてきたい」が多いのが面白い。
 「日本人の性格(長所)」(#9.1)はそもそも、「勤勉」「ねばり強い」「親切」「礼儀正しい」が多く、元々一番多かった「ねばり強い」が4位に下がっているという傾向のほうが注目できる。確かに「親切」「礼儀正しい」は急激に増えているが、前回調査から増加する傾向にあったのだ。

 極端な解釈をすれば、調査を拒否した3割は、政府に協力することを拒んでいる。政府機関や調査ということを信用していない。社会(他人)に関わりたくない。税金を納めるのもいや。
そんな連中かもしれない。
「選挙への関心」(#8.6 )では87%が投票するとしている。実際の投票率と比べてみると調査を拒否するような人は選挙で投票に行かない傾向がありそうだ。

玉音放送

朕深ク世界ノ大勢ト帝國ノ現状トニ鑑ミ非常ノ措置ヲ以テ時局ヲ收拾セムト欲シ茲ニ忠良ナル爾臣民ニ告ク

 私は、深く世界の大勢と(大日本)帝国の現状とを振返り、非常の措置をもって時局を収拾しようと思い、ここに忠実かつ善良なあなたがた臣民に伝える。


朕ハ帝國政府ヲシテ米英支蘇四國ニ對シ其ノ共同宣言ヲ受諾スル旨通告セシメタリ

 私は、帝国政府から米、英、中、ソの四国に対して、それらの共同宣言を受諾することを通告するよう下命した。

抑帝國臣民ノ康寧ヲ圖リ萬邦共榮ノ樂ヲ偕ニスルハ皇祖皇宗ノ遺範ニシテ朕ノ拳々措カサル所

 そもそも帝国臣民の平穏無事を図り世界繁栄の喜びをともにすることは、歴代の天皇が遺してきた規範であり、私が常々ささげもつ様になおざりにしないできたことである。

曩ニ米英二國ニ宣戰セル所以モ亦實ニ帝國ノ自存ト東亞ノ安定トヲ庶幾スルニ出テ他國ノ主權ヲ排シ領土ヲ侵スカ如キハ固ヨリ朕カ志ニアラス

 先に米英二国に対して宣戦した理由も、本来帝国の自存と東アジアの安定とを心から願う思いから出たものであり、他国の主権を排除し領土を侵すようなことは、初めから私の望むところではない。

然ルニ交戰已ニ四歳ヲ閲シ朕カ陸海將兵ノ勇戰朕カ百僚有司ノ勵精朕カ一億衆庶ノ奉公各最善ヲ盡セルニ拘ラス戰局必スシモ好轉セス世界ノ大勢亦我ニ利アラス

 ところが交戦はすでに四年を経過し、私の陸海将兵の敢な戦いも、私の多くの官僚の奮励努力も、私の一億の庶民が一身をささげて国家に尽くすことも、それぞれが最善を尽くしたにもかかわらず、戦局は必ずしも好転していないし、世界の大勢もまた我国に有利をもたらしていない。

加之敵ハ新ニ殘虐ナル爆彈ヲ使用シテ頻ニ無辜ヲ殺傷シ慘害ノ及フ所眞ニ測ルヘカラサルニ至ル而モ尚交戰ヲ繼續セムカ終ニ我カ民族ノ滅亡ヲ招來スルノミナラス延テ人類ノ文明ヲモ破却スヘシ

 それに加えて、敵は新たに残虐な爆弾(原爆)を使用して、間隔をおかずに無実の人々をも殺傷しており、惨澹たる被害がどこまで及ぶのか全く予測できないまでに至っているのにまだ戦争を継続するならば、ついには我が民族の滅亡を招くだけでなく、ひいては人類の文明をも破滅しかねないであろう。

斯ノ如クムハ朕何ヲ以テカ億兆ノ赤子ヲ保シ皇祖皇宗ノ神靈ニ謝セムヤ是レ朕カ帝國政府ヲシテ共同宣言ニ應セシムルニ至レル所以ナリ

 このようなことでは、私はどうやって自分の子どものである人民を守り、歴代の天皇の御霊に謝罪したら良いというのか。これが、私が帝国政府に対し共同宣言を受諾するよう下命するに至った理由なのである。

朕ハ帝國ト共ニ終始東亞ノ解放ニ協力セル諸盟邦ニ對シ遺憾ノ意ヲ表セサルヲ得ス帝國臣民ニシテ戰陣ニ死シ職域ニ殉シ非命ニ斃レタル者及其ノ遺族ニ想ヲ致セハ五内爲ニ裂ク且戰傷ヲ負ヒ災禍ヲ蒙リ家業ヲ失ヒタル者ノ厚生ニ至リテハ朕ノ深ク軫念スル所ナリ

 私は、帝国と共に終始東アジアの解放に協力してくれた同盟諸国に対しては遺憾の意を表せざるを得ない。帝国臣民であって戦死した者、公務にて殉職した者、戦災で亡くなった者、さらにはその遺族の気持ちに想いを寄せると、我が身を引き裂かれる思いである。また戦傷を負ったり、災禍を被って家財職業を失った人々の再起については、私が深く心を痛めているところである。

惟フニ今後帝國ノ受クヘキ苦難ハ固ヨリ尋常ニアラス爾臣民ノ衷情モ朕善ク之ヲ知ル然レトモ朕ハ時運ノ趨ク所堪ヘ難キヲ堪ヘ忍ヒ難キヲ忍ヒ以テ萬世ノ爲ニ太平ヲ開カムト欲ス

 考えれば、今後帝国の受けるべき苦難は言うまでもなく並大抵のことではなかろう。あなたがた臣の本心も私はよく理解している。しかしながら、私は時の巡り合せに逆らわず、堪えがたくまた忍びがたい思いを乗り越えて、長く続く世の中のために平和を切り開こうと思うのである。

朕ハ茲ニ國體ヲ護持シ得テ忠良ナル爾臣民ノ赤誠ニ信倚シ常ニ爾臣民ト共ニ在リ

 私は、ここに天皇を中心とした秩序を大切に守って、忠義で善良なあなたがた臣民とともにいる。

若シ夫レ情ノ激スル所濫ニ事端ヲ滋クシ或ハ同胞排擠互ニ時局ヲ亂リ爲ニ大道ヲ誤リ信義ヲ世界ニ失フカ如キハ朕最モ之ヲ戒ム

 もし、誰かが激情のあまりみだりに事件を起こし、あるいは仲間を押しのけ陥れたりして互いに時局を乱し、目標を見失って、世界から信頼を失う事を私はもっとも警戒している。

宜シク擧國一家子孫相傳ヘ確ク神州ノ不滅ヲ信シ任重クシテ道遠キヲ念ヒ總力ヲ將來ノ建設ニ傾ケ道義ヲ篤クシ志操ヲ鞏クシ誓テ國體ノ精華ヲ發揚シ世界ノ進運ニ後レサラムコトヲ期スヘシ

 ぜひとも国を挙げて子孫にまで語り伝え、神国日本の不滅を確信し、任せられた役目は重く達成する道のりは遠いと思い、総力を将来の建設に傾け、道徳をしっかりと持ち、志を固く守り、誓って天皇を中心としたこの国の真髄を奮い立たせて、世界の流れに遅れを取らぬよう決意しなければならない。

爾臣民其レ克ク朕カ意ヲ體セヨ

 あなたがた臣民はこれら私の考えを実現せよ。

量的判断

美味しんぼ」を読んでるひとは全体から見るとわずか。
首相の「(福島の)状況はコントロールされている」「日本は世界一安全な原子力発電の技術を提供できる」などという発言がマスメディアのトップニュースとして何度も配信されることや、それに対する反論や汚染水流出問題、放射能汚染で出荷制限されている食品などの報道と比べてみよう。このように圧倒的に情報量が多い事例が世論や風評の形成に大きく影響しているはずだ。
むしろ、「美味しんぼ」をことさら取り上げたことでマスメディアに取り上げられ情報量が数十倍に増えてしまい問題を拡大させてしまった。損得を云々したくはないが「美味しんぼ」批判は現実的戦略としては失敗だろう。
原子力災害対策特別措置法に基づく食品に関する出荷制限があることは放射線降下物や流出汚染水の影響を現実的に表している。風評形成の背景として最も影響力があるはずだ。
http://www.mhlw.go.jp/stf/houdou/2r9852000001a3pj-att/2r9852000001a3rg.pdf

 アラブの思い出

 
 もう30年前になってしまった。
仕事でサウジアラビアとイエメンに1ヶ月ほどいたことがある。
ジェッダという紅海側の大きな商業都市を中心に幾つかの都市を回ったことがある。

 「イスラムとアラブと砂漠」という想像しがたい異空間である。出国前にアラブの文化についてレクチャーを受け、やってはならない最低限のルールを教わった。宗教警察には気をつけろ何度も注意されたものだ。実際誰が宗教警察なのかよく分からないが、自動小銃かショットガンを持っている制服を着た二人組のオトコをよく見かける。彼らに囲まれ、街の広場でむちで打たれている若者を見た。

現地で多くのヒトと会った。
現場で仕事をしているのは外国人が多い。スーダン出身の色の黒いマネージャーは英国の大学に行っていたようだ。イエメンやヨルダン、パレスチナなど外国のアラブ人も多い。スークの貴金属店はペルシャ人の経営だ。土木建築は韓国人が多い。レストランはトルコ人だ。料理は基本的にトルコ料理である。アジア系の女性を見かけた。インドネシアの看護婦だという。
プリンスと呼ばれる特権階級や金のある商人から山羊を数頭引き連れてぶらぶらする子どもたちまでいろんなヒトをみたが、一番親しくしたのはトラックのドライバーを兼ねて作業を手伝ってくれた地方や近隣の国から出稼ぎにきている貧乏なモスリムたちだ。オレは文字はだめだが英語が話せるドライバーの助手席に乗って旅をした。イスラム式の立ちションは膝を付いてする。
 
 ドライバーのリーダーはベドウィンだといっていた。おそらくスンニだろう国籍よりも出身部族にアイディンティティを持っている。彼らは旅の間一度も宿に止まっている様子がない。それぞれ親戚や同じ部族の所を頼っているようだ。一度予約したホテルがまだ建設中という信じられないことになった。そのとき見かねたドライバーのリーダーは親戚宅に連れて行ってくれた。豊かではないが20人は住まっていると思われる大きな家だ。子供だけで10人以上いた。何人かの男は身を寄せている田舎の親類縁者のようだ。
我々のために山羊を一頭つぶして振舞ってくれた。目玉はお前が食えと強く進められにらめっこしながら口にした。

 時々同じアラブ人として平等ではないことに不満を漏らす。経済力を背景にした特権階級の固定化に常に憤っていた。
思考の組み立て方は同じでとても親近感をもった。

小泉進次郎の米軍擁護発言

「多くの人の受け止めは、またかということ。ただ、事故のヘリは東日本大震災で捜索救難活動の実績もあるトモダチ作戦の大きな功労者だ」とも強調、事故で犠牲になった隊員に哀悼の意を表し、墜落のみを大騒ぎする一部メディアを牽制した。

 8月10日ウェブで配信されていた産経新聞の記事から抜粋した小泉進次郎の発言である。http://sankei.jp.msn.com/politics/news/130810/stt13081018000004-n1.htm


 事故の犠牲者を悼むことと『トモダチ作戦』を結びつけることは善のイメージ作戦そのものである。
 
 もし、事故の犠牲者にまきこまれた市民がいたとしたらどう考えるのだろうか。自動車事故に当てはめてるといい。事故を起こした運転手や同乗者よりは巻き込まれた歩行者に同情が集まるだろう。
航空機の事故はたまにある。軍の訓練における事故の確率は一般の事故よりも高い。しかし、より安全確実に高度な作戦を実行するために、リスクのある訓練をする必要があると関係者は考えている。 『トモダチ作戦』とは関係なくこういう事故は起きるのである。

 災害救助などの人道的支援はヒトとしての義務だと思っている。自衛隊や米軍のような組織はそういう緊急事態のために日頃から訓練し給料をもらっているいわばプロである。米軍は日本に基地を置きその維持のために日本は多額の負担をしてきた。在日米軍駐留経費の日本側負担額は思いやり予算年間1850億円余りだけではなく、基地周辺対策費や地代などを含めると 総額7000億円ほどになる。『トモダチ作戦』は無償の人道的活動ではなく日本に駐留する軍として本来的な活動のひとつと考えるべきだろう。もしあのとき彼らが何もしなかったらそれこそ同盟国としての信義を疑わなければならない不作為になる。

 問題は危険な訓練を一般の人々が生活する地域で行うことである。地位協定によって米軍にはそれができると約束されていることが一番の問題なのだ。それを改めるという具体的な方針が示されない限り小泉真二郎の発言は米軍のための発言にしか聞こえない。

読売の軽いノリ__参戦の布石

 読売新聞の集団的自衛権に対する姿勢がよく解る記事である。「東アジアの安全保障情勢は急速に悪化している。」と危機感を煽る一言を加えて集団的自衛権行使が可能な状況を実現しようと詭弁を弄しているのである。
読売新聞 - 2013年08月09日 01:31

小松法制局長官 集団的自衛権見直しの布石に

 集団的自衛権に関する政府の憲法解釈の変更を目指す安倍首相の強い意向を端的に示した、画期的な人事である。

 内閣法制局長官に、小松一郎駐仏大使が就任した。条約課長、国際法局長を歴任したとはいえ、外務省出身者が長官に起用されたのは初めてだ。

 小松氏は「集団的自衛権を有しているが、必要最小限度の自衛を超えるため、行使できない」とする政府解釈の見直しに前向きだ。集団的自衛権の行使容認へ首相主導で布石を打ったと言える。

 内閣法制局は、政府提出法案の審査や憲法解釈を所管しており、「法の番人」と呼ばれるが、内閣の一機関でもある。

 安全保障環境の変化に応じて、必要な政策を実行するため、解釈変更を検討するのは当然だ。小松氏も、解釈変更について「内閣全体で考えることだ」と語った。

 近年、東アジアの安全保障情勢は急速に悪化している。日本の平和を確保するには、集団的自衛権の行使を可能にし、日米同盟や国際連携を強化する必要がある。

 集団的自衛権の見直しについては、政府の有識者懇談会が年内にも提言をまとめる予定だ。

 ミサイル防衛、米艦防護など従来の4類型に加え、偽装漁民による離島占拠のような有事に至る前の自衛隊の武器使用といった課題を総点検してもらいたい。

 集団的自衛権は、国際法上、どの国にも認められている。この権利が行使できないと、周辺国以上の軍備を単独で持たなければ、自国の安全を確保できず、かえって軍拡競争を招きかねない。

 まず集団的自衛権の行使を容認したうえで、実際に自衛権を行使するかどうかは、政府がその時点における内外の情勢を総合的に勘案し、判断すればいい。

 他国の領土への侵入や攻撃はしないなど、一定の歯止めは必要だろう。内閣の交代のたびに、憲法解釈が変わるようでも困る。

 国会としての意思を示し、法的安定性を担保するため、解釈変更に加えて、安全保障基本法を制定することが望ましい。

 当面の課題としての解釈変更へのハードルも決して低くない。

 法制局長官の交代だけで、過去の膨大な国会答弁の積み重ねがある法制局の見解を簡単に変更できる訳ではない。新たな政府解釈に説得力ある理論構成が必要だ。

 解釈変更への反対を明確にした公明党との調整も課題だ。政府・与党内で議論を重ね、接点を見いださなければならない。

 このたびの法制局長官人事を[画期的]と強く肯定的表現することからはじめる。
法制局長官人事で集団的自衛権行使が可能になるとすれば、それは改憲に頼らず武力によって紛争を解決する行為を可能にするということだ。
 集団的自衛権国際法上認められているが日本の憲法はその権利を永久に行使しないと定めている。
それをすっ飛ばして、法制局長官の憲法解釈でやろうというのは、明らかに違憲である。
 公器と自認し、消費増税の枠から逃れようと策略するのなら、まず政府には憲法遵守を求めるべきだろう。


 そもそも、徹底した武装解除を目的にそれを永久的な国是とする覚悟は制憲会議においてもはっきりとしていた。当時は自衛隊のような専守防衛すら想定にしていなかったのである。

 首相幣原喜重郎は以下のように明言している。

__軍備が皆無であることに乗じ、外国が領土を侵すことがあれば、自衛策はどうか―国民の最大関心事のこの問題には、やがて締結される講和条約や国際協定において、我が国が何らかの自衛施設を持つことを認める取り決めが望ましい。永久局外中立国としての保障を求めるべきだ。いずれかの国から必要に応じて兵力的掩護を受ける約束を取り付けるべきだといった意見がある。これらは、いずれも現実の政策として適切なものとは思われない。__

 アメリ連邦議会の上院軍事外交合同委員会公聴会においてマッカーサーは以下のように証言した。

__日本人は、どの国民よりも原子戦争がどんなものか了解している。それは理論上のことではなく、彼らは死体を数えそれを埋葬したのだ。首相幣原喜重郎は私の所に来て「唯一の解決策は戦争をなくすことです」、「軍人としてのあなたにこの問題を差し出すのは非常に不本意です。それは受け入れられないと信じるからです。しかし、私は憲法にこの条項を挿入するよう努力したい」。
 私は立ち上がってこの老人と握手し、「それこそ恐らく最も偉大な建設的措置の一つだ」と言わないではおれなかった。私は「世界はそれを受け入れず、嘲笑の的となるだろう。それを貫徹するには大きな道義上の気力が必要となるが、究極においてそのような気力はその方向を維持できなくなるかも知れない」と言った。しかし私は彼を元気づけた。そして、日本人はその条項を憲法に書き入れた。__


 68年前の今日長崎に原爆が投下された。当時の政府はポツダム宣言受諾のために右往左往していた。国体護持のため玉砕を唱える連中も一部にはいたが、大方は軍が無条件降伏すれば、天皇のことは目をつぶるという米国の言を信じて負けを受け入れるつもりになっていた。第二次世界大戦は勝ち負けにかかわらず世界中を疲弊させた。

 『平和主義』はいまだに半端な思想として扱われる。しかし、幣原喜重郎をはじめとする当時の官僚や政治家の多くは本気でこれを実施する心づもりでいたのである。これを忘れてはいけない。