最高裁判事としての資質を疑う

大阪母子殺害事件、上告審判決の要旨
(2010年4月27日23時27分 読売新聞)から

最高裁第3小法廷が27日、大阪母子殺害事件で言い渡した判決の要旨は以下の通り。


 【多数意見】

 刑事裁判での有罪認定にあたっては、合理的な疑いを差し挟む余地のない程度の立証が必要で、その立証には被告が犯人でないとすれば合理的に説明できない事実が含まれていることを要するべきである。ところが、本件で認定された事実はこの点を満たすとは認められず、1審・大阪地裁、2審・大阪高裁で審理が尽くされたとはいい難い。

 1審判決は、被告が事件当日に現場マンションに赴いたという事実を最大の根拠とする。その事実を認定した理由の中心は、マンションの階段踊り場の灰皿に残されていたたばこの吸い殻に付着した唾液(だえき)のDNA型が被告のDNA型と一致したことである。

 この点について、被告は1審から、被害者の森まゆみ夫妻に自分が使っていた携帯灰皿を渡したことがあり、まゆみがその携帯灰皿に入っていた吸い殻を踊り場の灰皿に捨てた可能性があると反論していた。

 2審判決は、ビニール製携帯灰皿に入れられた吸い殻は通常押しつぶされて灰がまんべんなく付着して汚れるが、今回の吸い殻はその形跡がなく、もみ消さないで火がついたまま捨てられて自然に消火したなどとした。吸い殻が茶色に変色していた点は、フィルターに唾液が付着したもので自然だとした。

 しかし、ビニール製携帯灰皿に入れられた吸い殻が常に2審判決の説明する形状になるか疑問がある上、そもそもこの吸い殻がビニール製携帯灰皿を経由したと限定できる状況でもない。被害者宅からは被告のものの可能性がある箱形の携帯灰皿も発見されている。また、吸い殻のフィルター全体の変色を唾液によると考えるのは極めて不自然で、変色は、吸い殻が捨てられた時期が事件当日よりもかなり前だった可能性を示すものとさえいえる。この問題点について、2審判決の説明は採用できず、合理的に説明できる根拠は見当たらない。

 そうすると、事件当日の自分の行動に関する被告の供述があいまいで不自然な点や変遷がみられるという1審判決の事実の評価とは関係なく、被告が事件当日に現場マンションに赴いたという事実は認定できない。

 ところで、踊り場の灰皿には72本の吸い殻が存在し、その中にはまゆみが吸っていたたばこと同じ銘柄のものも4個あった。これらの吸い殻からまゆみのDNA型に一致するものが検出されれば、まゆみが携帯灰皿の中身を捨てた可能性が極めて高くなる。しかし、この点について鑑定を行ったような証拠はない。被告が残したとされる吸い殻の位置も重要なのに、採取した警察官に記憶がないなど、証拠は十分ではない。さらに、吸い殻の変色は大きな問題で、被告が事件当日に吸い殻を捨てたとすれば、それから採取までの間に水にぬれる可能性があったかどうかの検討が必要だが、これも捜査が十分ではない。吸い殻が事件当日に捨てられたかどうかは、被告が犯人と認められるかどうかの最も重要な事実なのに、1、2審で審理が尽くされたとはいい難い。

 その上、仮に事件当日に被告がマンションに赴いた事実が認められたとしても、認定された他の事実を加えれば被告が犯人でなければ合理的に説明できない事実が存在する、といえるかどうかにも疑問がある。例えば1審判決は、被告は犯行が行われたとみられる時間帯に携帯電話の電源を切っていた不自然さなどを指摘しているが、事件が突発的な犯行とされていることに照らせば、それがなぜ被告の犯行と推認できる事情となるのか、納得できる説明がされているとはいい難い。その他の点を含め、1審判決が掲げる事実のみで被告を有罪と認定することは著しく困難といわざるを得ない。

 そもそも、このような1、2審判決は、「被告が犯人でないとすれば合理的に説明することができない(あるいは、少なくとも説明が極めて困難な)事実関係」が存在するか否かという観点からの審理が尽くされたとは言い難い。事案の重大性からすれば、このような観点に立ち、1審が有罪認定に用いなかったものを含め、他の事実についても更に検察官の立証を許し、総合的に検討することが必要である。

 以上の通り、1、2審判決は、吸い殻に関する疑問点を解明せず、十分な審理を尽くさずに判断した結果、事実を誤認した疑いがあり、破棄しなければ著しく正義に反する。よって、本件を1審・大阪地裁に差し戻す。

 【藤田宙靖裁判官の補足意見】


 1、2審判決は、被告が事件当日に立ち寄った場所について一つも確定的なことを述べていないことなど、一つ一つの間接的な事実を総合評価すれば有罪が立証されるとする。しかし、一般に、一定の事実を想定すれば様々なことが矛盾なく説明できるという理由のみで、その事実が存在したと断定することは極めて危険だ。「仮説」を「真実」というためには、それ以外の説明はできないことが明らかにされなければならず、刑事裁判でも、この基本的枠組みは十分に尊重されなければならない。

 【堀籠幸男裁判官の反対意見】

 吸い殻の写真など変色の状況に関する証拠から、事件に近い時期に吸われたものと考えるのが相当だ。また、ビニール製携帯灰皿に吸い殻を入れて持ち運べばふたのスナップを止めるときなどに吸い殻は押しつぶされたようになるはずだが、その形跡もなく、吸い殻が直接灰皿に捨てられたというべきである。多数意見は客観的証拠の評価を誤っており、賛成できない。

 被告は事件2日後の4月16日には警察官からアリバイについて事情聴取され、妻に「14日のことは何一つ覚えていない。アリバイがない」と話している。被告は極めて几帳面(きちょうめん)だが、アリバイに関する供述は極めてあいまいで虚偽といわざるを得ない。被告は犯行時刻にどこにいたかという事実を隠しており、犯行現場にいたという事実が推認できる。

 刑事裁判での事実認定は、社会生活で形成される経験則に基づいて行われ、一般国民も十分なし得る。裁判員裁判は国民の健全な良識を刑事裁判に反映させようとするものだから、裁判官がこれまで形成した事実認定の手法を裁判員がそのまま受け入れるよう求めることは避けなければならない。「被告が犯人でないとすれば合理的に説明することができない事実関係」という概念を用いることは、裁判員裁判が実施された現時点では相当ではない。

この事件について参照できるサイト

http://fukutomim.iza.ne.jp/blog/entry/88853/


事件についてザッと調べてみたが、事件に至るまでの被害者家族の生活や容疑を掛けられた人との関係についてほとんど明らかになっていない。ただし、わかっていることを並べると二時間ドラマ向きなシナリオを作ることができる。
どんな、環境にあっても事件が起きることはある。被告が真犯人である可能性もあるが、捜査線上に上がらないだけで他に容疑者がいても不思議ではない印象だ。

堀籠幸男裁判官の反対意見は「アリバイに関する供述は極めてあいまいで虚偽」であることだけで事実認定している。犯行現場近くに残されたとされる被告のDNAも、発見された時点での客観的証明が為されておらず、でっち上げようと思えばできる証拠である。即ち、客観的な証拠は一つもない。
もし、この事件程度の事実認定が刑事裁判で採用されるのなら、いくらでも犯人を作ることができるだろう。
「怪しいと思ったらそいつは真犯人」
では、たまったもんじゃない。

最高裁判事としての資質を疑う言動である。