アラブの思い出

 
 もう30年前になってしまった。
仕事でサウジアラビアとイエメンに1ヶ月ほどいたことがある。
ジェッダという紅海側の大きな商業都市を中心に幾つかの都市を回ったことがある。

 「イスラムとアラブと砂漠」という想像しがたい異空間である。出国前にアラブの文化についてレクチャーを受け、やってはならない最低限のルールを教わった。宗教警察には気をつけろ何度も注意されたものだ。実際誰が宗教警察なのかよく分からないが、自動小銃かショットガンを持っている制服を着た二人組のオトコをよく見かける。彼らに囲まれ、街の広場でむちで打たれている若者を見た。

現地で多くのヒトと会った。
現場で仕事をしているのは外国人が多い。スーダン出身の色の黒いマネージャーは英国の大学に行っていたようだ。イエメンやヨルダン、パレスチナなど外国のアラブ人も多い。スークの貴金属店はペルシャ人の経営だ。土木建築は韓国人が多い。レストランはトルコ人だ。料理は基本的にトルコ料理である。アジア系の女性を見かけた。インドネシアの看護婦だという。
プリンスと呼ばれる特権階級や金のある商人から山羊を数頭引き連れてぶらぶらする子どもたちまでいろんなヒトをみたが、一番親しくしたのはトラックのドライバーを兼ねて作業を手伝ってくれた地方や近隣の国から出稼ぎにきている貧乏なモスリムたちだ。オレは文字はだめだが英語が話せるドライバーの助手席に乗って旅をした。イスラム式の立ちションは膝を付いてする。
 
 ドライバーのリーダーはベドウィンだといっていた。おそらくスンニだろう国籍よりも出身部族にアイディンティティを持っている。彼らは旅の間一度も宿に止まっている様子がない。それぞれ親戚や同じ部族の所を頼っているようだ。一度予約したホテルがまだ建設中という信じられないことになった。そのとき見かねたドライバーのリーダーは親戚宅に連れて行ってくれた。豊かではないが20人は住まっていると思われる大きな家だ。子供だけで10人以上いた。何人かの男は身を寄せている田舎の親類縁者のようだ。
我々のために山羊を一頭つぶして振舞ってくれた。目玉はお前が食えと強く進められにらめっこしながら口にした。

 時々同じアラブ人として平等ではないことに不満を漏らす。経済力を背景にした特権階級の固定化に常に憤っていた。
思考の組み立て方は同じでとても親近感をもった。