エジプトで起きているどこかで見た光景

 カイロにいる朝日新聞中東アフリカ総局長 の川上泰徳氏は、6月30日にカイロのタハリール広場で始まった反政権勢力による大規模なデモは平和的であった伝えている。シュプレヒコールは「イハイル!」(出て行け)や「ヤスクト!ヤスクト!」(倒せ倒せ)とムバラク政権を倒したエジプト革命と同じだったが」今回は緊張感が全くなかったということだ。
事実、警官隊と衝突することも、政府によって反体制派の新聞やテレビが規制されることもなかったと伝えてきている。

ところが、7月1日に軍が別の48時間の期限を設けて、政治勢力に「国民の要求を実現するための合意」を求め、合意に至らない時には、軍自らが「ロードマップ(行程表)」を発表する、と介入してきたことで、事態は急変する。期限切れ後の3日夜に、シーシ軍最高評議会議長(国防相)は、憲法の一時的な停止と、ムルシ大統領に代わって、最高憲法裁判所長官を臨時の大統領とし、新たな大統領選挙行うことや、暫定内閣を発足させることなどを発表した。
 軍が民主的に選出された大統領を排除したことは、軍による民主主義体制の否定であり、法治国家を否定する明白なクーデターである。朝日新聞はシーシ議長の発表で、ムルシ大大統領が軍によって排除されたことが明らかになった時から「軍事クーデター」と呼んでいる。これは、英国放送協会(BBC)など主要な外国メディアも同様である。
 エジプト国内ではムスリム同胞団は「クーデター」として非難したが、ムルシ政権に反対したタマッルドやエルバラダイ国際原子力機関IAEA)事務局長やアムル・ムーサ元アラブ連盟事務局長らが率いる救国共同戦線は、軍の介入を支持し、それを民衆の意思を実現した「6・30革命」と呼ぼうとしている。ムルシ政権が最後まで反政権派による政府批判を認め、言論や集会の自由を封殺するような手段をとらなかったことは、民主的な法治国家を維持したことになる。
 ムルシ政権を批判してきたタマッルドや救国共同戦線などの野党も、軍によるクーデターは、エジプト革命で800人以上の若者の命を代償として勝ち得た政治的な自由や民主主義を否定するものとして、非難すべき立場にあるはずである。そのような立場をとらず、あたかも軍のクーデターが、民意の実現であるような意味づけをしていることは、政治的な行動として破綻している。
 一方で、ナスルシティーで行われているムルシ支持の大規模デモは継続し、ますます規模を拡大している。軍が実現した「国民の意思」はムルシ政権を排除しようとする「反政権派+野党」の意思だけであって、ムルシ支持派は、軍がいう「国民」には入っていない。1年前の大統領選挙では、ムルシ候補と元軍人のシャフィーク候補の決選投票となり、1300万台対1200万台という接戦だったことを考えても、国民が真っ二つに分裂していた。
 選挙の1年後に、ムルシ大統領に反対する勢力が、大規模な反政権デモを行い、大量の反政権署名を集めて、ムルシ大統領に退陣を求めるのは、政治批判としては自然なことである。しかし、軍が、反政権派の動きに乗って、一方の民意だけに肩入れして、民主的な政権を否定するクーデターを起したことは、当然のこととして、無視された「もう一つの民意」の強い反発を招いている。国際的な常識に照らしても、ムルシ氏が民主的な選挙で選ばれた自らの地位を「正当性」をすることは、まさに正当なことである。私は記事の中でも、ムルシ政権がこの1年で、様々な失政を犯したことには批判的だが、だからといって、軍のクーデターがやむを得ないとか、何らかの正当性を持つものだとは考えない。

続くムスリム同胞団と軍の攻防 2013/07/09
http://middleeast.asahi.com/watch/2013070800003.html

 ムルシ政権の一年は失政続きで国民から批判が上がるのは必然的だったと川上氏は見ている。具体的にはジェトロ・アジア経済研究所地域研究センター研究員の福田安志氏によるレポートにから失政の中心は経済問題だということが解る。

ムバーラク大統領を倒した2011年のいわゆる「エジプト革命」は、強権支配と並んで、貧困や物価高、そして失業問題などの経済問題を主な原因として起きたものである。そのため、革命後には、経済改革が優先的に行われなければならない重要なテーマであったはずである。しかし、革命から2年半が過ぎようとしているが、経済状態は一向に改善しないどころか、悪化しつつあるのである。
(中略)
2011年6月にはエジプト政府はIMFと30億ドルの融資を受けることを取り決めたが、直後にエジプト政府はそれを破棄している。当時の軍の評議会が、IMFが提示した条件に縛り付けられるのを嫌ったためであるとみられている。
(中略)
 IMFとの融資交渉は、その後も断続的に続けられ、ムルシー政権になっても続き、48億ドルの融資を受ける方向で交渉が行われてきた。エジプト政府筋からは近々交渉がまとまるという情報が何度も流れたが、融資が実現することはなかった。(中略)
 IMFとエジプト政府の交渉が難航してきたのは、IMFの付けている条件にムルシー政権が難色を示してきたためである。その条件とはエジプトの財政赤字の縮小である。財政赤字を縮小させるためには、増税で歳入増を図り、貧困層に対する補助金などの削減を行い歳出を絞ることが欠かせない。
 ムスリム同胞団は、貧困層への支援活動を通して勢力を築いてきたイスラーム主義の社会運動組織である。そのムスリム同胞団を基盤としたムルシー政権にとって、増税補助金削減は貧困層への打撃が大きく、同胞団内の反対も強く、その実施は躊躇された。また、左派勢力をはじめとした国内勢力の反対も強い。
 難問ではあったが、ムルシー政権は、富裕層への増税や、補助金の部分的削減を行うことでIMFの条件をクリアーしようと試みてきた。しかし、融資が実現する前にムルシー政権は倒れてしまったのである。

エジプト経済はどうなるか 2013/07/09 
http://middleeast.asahi.com/column/2013070800006.html

 経済政策が進まなかった理由は、IMFの厳しい要求に対応しようとする貧困層を代表する大統領に富裕層と軍が抵抗し、彼らから強く影響を受けている官僚はトップの指示に従わない。行政の実務者がサボタージュしデタラメをやれば失政続きは必然的な結果だ。
 クーデターによって、富裕層が属する世俗派政権ができて、軍が隠然と権力を行使すると、財政を立て直すために貧困層に出ていた補助金を削り、逆進性の強い増税をすることになるだろう。

 どこかで見た構図と同じだ。