子どもの発達成長と性的情報について

「善良な性的道義にふりまわされる人々」
この秋、大英博物館では「日本の春画−江戸美術における性とユーモア」と題した春画展が開催される。5月19日の東京新聞朝刊一面にこの美術展の国内巡回展開催が難航している事情が載っている。
http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2013051902000124.html

 断った側の一つ、東京国立博物館の松本伸之学芸企画部長は「公立館として芸術だから展示します、でも後は知らんぷりは難しい。ギリギリまで悩んだが、子どもらへの配慮をどう確立するかを考えると、慎重にならざるを得ない」と回答。別の美術館の学芸員は「大規模展では新聞社などが共催者として出資するが、春画ではスポンサーも付きにくい。やりたいのはやまやまだが批判は怖い」と漏らした。(東京新聞)

「子どもらへの配慮」という東京国立博物館の松本伸之学芸企画部長の言葉は何を意味しているのであろう。

 春画は本来、老若男女が楽しむオープンな存在だった。一転したのは明治時代。文明開化に伴い、政府が「西洋人に見せたくない恥ずかしいもの」として禁じた。以降、学術研究の対象とすら見なされずタブー視される。象徴的なのは一九九五年、大英博物館で開かれた歌麿展。春画を含む浮世絵が展示されたが、日本での巡回展では春画を削除した。(東京新聞)

東京新聞では明治政府の富国強兵策として積極的に欧米列強のまねをした「文明開化」策によって欧米の性的タブーも真似をしたという歴史観が示されている。このことに関してはとても興味深く検討すると切りがない。とりあえず私も明治期に日本人の性道徳観が大きく変わったことを概ね認めている。
性道徳観の変化は人々の「性的感情」にも影響を与えたと思われる。公然猥褻について大正時代の大審院から「徒に性欲を興奮又は刺激せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの」とされる判例が出ている。「普通人の正常な性的羞恥心」を害することとはどういうことか、「善良な性的道義」は誰がどのように決めたことか。曖昧を根拠にした判例である。しかし、この判例の考え方は現在の司法判断にも踏襲されている。
我々はこの不思議な「善良な性的道義」とやらに今でもふりまわされているのである。

「性的羞恥心を持つことは悪なのか」
1972年の四畳半下張り事件が世論を賑わせた。有名作家であった野坂昭如が猥褻文書販売の罪で起訴され有罪になった事件である。思春期にいた私は、この事件をきっかけに自分と自分の周辺にある性的事象に関して強く意識し考察してきた。倫理的には最初に思った「性的な羞恥心によって悪いことは起こるのか」、「性的羞恥心を持つことは悪なのか」という素朴な疑問を追求してきたのである。少なくとも、それから40年以上たつが性的羞恥心によって引き起こされた悪いことを見つけることはできないでいる。
しかも、性的な事柄は子どもの発育に影響を与えるとされている。それは本当だろうか。
私は性産業が盛んな地域で育ったから、性に対し早熟であったかもしれない。確かにそういう環境は私に影響を与えている。しかし、それが発育にとって悪影響だと思い当たるところはない。
無理矢理「悪影響」とするのなら、最高裁判例に疑問を持つことだろう。性的に不道徳とされる事に対し非常に寛容であり、むしろ、不道徳とすることに反感を持つことを指して、「発育にとって悪影響」とするならその通りかもしれない。

いずれにしても、性的情報と発育の関係を科学的に調査した例がほとんどないのが残念だ。
影響そのものではなく影響するのではないかという懸念を調査しているに過ぎないのである。
その懸念もそれぞれが持つ倫理観が前提であり、条件付けがひどく曖昧である。
ある大学の性情報環境と発育発達についての調査で情報の影響の選択肢と並んだ項目は以下であった。

性についての知識が増える。勉強に集中できなくなる。愛や性についての考え方がゆがむ。性体験を持つ青少年が増える。非行や犯罪の原因になる。誤った性知識を持っようになる。ストレスの解消になる。

主に性教育に関して色々と調べているが、役に立つ調査は少ない。国立社会保障・人口問題研究所・日本家族計画協会・日本性教育協会などがそれぞれ行っている性行為体験率の推移を見ると2000〜05年前後がピークで初体験の低年齢化傾向は逆に向きはじめた。
調査して解っていることは非常に少ない。性情報との関連性を見極める調査など全く存在しないのである。

この社会は偏見に満ちあふれている。性に関する偏見はとりわけ多い。
「正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義に反するもの」という考え方は偏見を多く含み、むしろそれが害を与えることになっていると常々思うのである。