米兵の強姦事件の反応から考えたこと。

沖縄の女性が米国海兵隊下士官に強姦された。沖縄ではこの犯罪に強い怒りの感情を表している。日本のオトコはみんな本気で怒るべきだという主張もある。
オレはこの犯罪を特別な犯罪とは思わない。誰が強姦しても被害者にとっては同じ事である。

遺伝子的に距離のある相手と性交渉することは、「遺伝子多様化論理」によって、むしろ歓迎する事態である。アプリオリに問題となるのは他国のオトコではなく「強姦」である。
「生物」としてオトコが強姦して、オンナがそれを嫌がるのは、他の種で雌が性交渉する相手を選択する事例がヒントになる。性交渉する相手を雌が選ぶほうが「適応」となっているのかもしれない。その原則を守るためにオンナは強姦を強く嫌悪するようになったのだ。

父系社会において考えれば、娘は外に出す事が原則。娘は財産だから他の価値と交換する事。オトコが強姦されて怒るべきは母親や嫁である。
仲間として認識される者が他の集団から被害を受けた場合に「怒る」ことの生物学的起源は、自分の子供や孫の身体的危険に反応する事だろう。人間はそれを社会形態に合わせて拡大解釈してきた。仲間や身内の概念は多層構造だから国家レベルまで仲間意識を拡大しないと「怒り」にならないはずだ。