NHKとエロス、「注目される条件」

日刊サイゾー
http://www.cyzo.com/2008/10/post_1095.html

先日、ネット上で「NHK教育でエロス」というスレッドが立ち、話題となった。

 これは、10月10日の22時半からNHK教育で放送された『コンテンポラリーダンスの現在』の後半部分「SHOKU」に関するもの。
 40分近くにわたって放送された内容は、女性が女性を踏んだり、互いに胸を触りあったり、靴を食ったり、脱いだり、パンツに靴を入れてライトを当てたり、パンツに手をつっこんだり......という、実に過激なものだった。
 これに対して、ネット上では「くるっとるwww」「気になってチャンネルかえられん」「喘ぎ声www」「完全にオナっとるwww」などの声が続出。大変なお祭り状態になっていた。

この記事はmixiのアクセスランキングでも一位になっている。
なぜこんなに反響があるのだろうか、不思議??

放送は見ていないから早速youtube。便利な世の中になったものだな。
http://www.youtube.com/watch?v=nX2-TbqxHg8


youtubeで再生した部分だけを見ると、んんん、端的に言うと1970年代的パフォーマンス。さほど目新しいとは思えない。
あの時期、表現作品は徹底的に「解体」された。表現は解体されっぱなしではなく表現者に各々によって再構築されていく。その流れは70年代後半にはっきり見えていたのだ。
「SHOKU」も生で見れば相当完成度が高いパフォーマンスなのだろうが、小さい画面で見るとそこにある原型は70年代のものに見えてしまうのだ。
NHKは舞台中継番組を作る。長時間CMなしでこういうマイナーな番組を作るのがNHKの使命だろう。


こんなマイナーな内容の番組になぜ反響が大きいのだろうか。
NHK教育」「エロ過ぎる」キーワードの取り合わせが興味を引いたんだろう。
演劇なんかをテーマに取り上げることが多い「緩慢高楼碑」でさえこういう感想だ。 http://d.hatena.ne.jp/matobauni/

 劇場中継でとんでもないものを見てしまった。
(中略)
…凄かった。やばかった。まさに連想するは「蝕」。いきなり真っ赤なドレスをたくし上げて下着が丸見えになったかと思うと、パンツのなかに手を突っ込んで………えええええ!?いやいやいや、踊りの中に性的表現を盛り込む云々はニジンスキーの時代からやってることだがら今更ギャースカ云うことではないが、イン○ンを掻き毟ってる様にも見えた……こんなものは序の口で、踊りながら相手をひっぱたく、どでかい涎を垂らす……芸術ってムズカシイ。なんだかんだで約1時間、目が離せなかった。
 しかし現在を探る云々というテーマに反して、それほど新しいとは思わなかったな。「ポゼッション」*1のイザベル・アジャーニ思い出したし。

NHK教育」で、あるいは、テレビ番組として「凄かった。やばかった。」と言うことのようだ。
しかし、「芸術ってムズカシイ。なんだかんだで約1時間、目が離せなかった。」とは?
どこが難しいんだろう。目が離せなかったのはそれだけ「伝えた」ということだろう。
そもそも言葉で解釈されることを求めたパフォーマンスではないのだ。

まとめブログもあった。
「かそログ」
http://ksklog.blog108.fc2.com/blog-entry-828.html

批判コメントの一部

キチガイすぎると芸術になる・・・わけねーな
どんな教育させたいんだwww
マジでキチガイじみてるからやめろ
気持ち悪い 芸術って銘打つとなにしてもいいって思ってんな
これだから現代アート(笑)ってやつは・・
サブカルあたりとかと同じだな 誰にも理解できないものを理解できてる自分すげえみたいな てか女の芸術かぶれってマジしゃれにならんの多すぎ

論調はバカウヨと同じ。
良く言えばリアリスト。胃袋を満たしたり、寒さをしのぐ工夫をしたりという発想を全てに当てはめる。多様な現象に対して面食らう。しかし彼らが勝手に最大公約数的であると思い込んでる「現実」は政府がモデルにする家族のように統計上の根拠は貧弱。

わかっているコメントの一部

コンテンポラリーはVIPが喜ぶようなものが多いよな。 結局大勢が見入っちまったわけだし作り手の勝ちじゃね。
NHKといえばロリエロマジキチとカオスの殿堂だぞ
芸術だからOKなんだろ 逆にこんなの普通にいねえからいいんじゃね?w
芸術ってすげぇーな

渋谷ハチ公前のスクランブル交差点を行き交う人々の光景も観察者によっては「芸術」になり得る。日常を解体する作業によって生まれた表現の源は日常に他ならないのだ。しかし、日常の多くは何気なく通り過ぎていく。ボケッとした脳みそに強く働きかけるためには特別な刺激が必要なのだ。

ただし、経済学あたりでこれをやってもあんまり価値はない。
世に倦む日日
http://critic5.exblog.jp/9698003/

左側(岩波アカデミー)の脱構築言説は、単に思想オタクが趣味で遊興するための薀蓄玩具となり、現実の社会問題や経済問題に対応する有効な社会科学の実質と性格を失い、そのため、一般大衆は現実問題に向き合ってメッセージを届ける右側の説得力に包摂された。