報道の自由と自主規制

報道の自由度」日本は29位に
http://www.jiji.com/jc/c?g=soc_30&k=2008102200166

日本は「民主主義が根付いた国」として前年の37位から29位に順位が上がり、アジアでトップだった。

サッカーアジア大会で優勝したようなもんだな。
ランキングのそのものを話半分に見ているが、この数年で日本の民主主義度が上がったとは思えない。
去年は37位、一昨年は51位だった。
毎年上位にいる北欧各国の様子はどうなのか興味がある。

さて、日本は表現の自由憲法で明記されている国である。
報道の自由表現の自由に含まれるものだ。

憲法 第21条
集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。
検閲は、これをしてはならない。通信の秘密は、これを侵してはならない。

報道の自由はこの条文を担保に成り立っている。
報道には取材が付きものだが取材の自由がこれに含まれているとは解釈されていない。
報道機関による自主規制、記者クラブによる情報ソースの囲い込み、取材対象との癒着、スポンサーなどに対する配慮、寡占媒体(マスコミ)による偏向した編集方針等々、報道の自由を侵しているのは報道メディア本体であったりする。
読売新聞の渡辺恒夫のように、フィクサー的に振る舞い、陰で権力を行使するようなジャーナリストもいる。

報道の自由は国民の「権利」なのであって「権力」にはなって欲しくない。
ネットは国民各位がそれぞれ自由に発信できるメディアである。それぞれが直接報道できるメディアを持ったのだ。これに規制をかけようとする勢力があるが断固として阻止しなければならない。
報道は一部報道機関の特権にしてはいけない。
そもそも「検閲」は憲法違反である。最高裁は行政機関が行う検閲だけが憲法の対象になるとした判例を出している。
したがって、行政は民間に自主規制という名の検閲をするよう圧力を掛けるのである。

メディアからの情報にあふれ、あたかも自由な報道の恩恵を受けているように錯覚させられている。しかし、報道されていない事実が圧倒的に多いことを自覚しなければならない。一部の機関による恣意的操作された情報だけを受け取っているのだ。