無罪の推定(presumption of innocence)はどこに?

大学生の集団準強姦事件に関して、マスコミは盛んに報道している。
この件について、報道されている事実関係を整理すると。
1,事件は今年2月25日に大学体育会系クラブの追い出しコンパの会場である居酒屋の店内で起きた。事件関係者はその参加者であった。
2,逮捕された容疑者は6人である。四人が性的行為、二人がわいせつ行為をし、他に数人が何らかの関与をしたと思われる。
3,全員が飲酒していた。告発者は酩酊状態だったとされている。
4,3月3日、告発者の母親は大学に相談をした。
5,大学は3月6日にハラスメント防止委員会を設立し、関与した学生に対して聞き取り調査を行った。
6,3月24日、大学側は調査によって「公共の場所で性的なことが行われた事実について確認したが、合意の有無を判断できなかった」と告発者の保護者に説明し、「警察に告訴するかどうかを考えてください」と話した。
7,大学は調査結果によって31日付で6人を無期限停学処分とした。
8,3月27日、告発者の母親は警察に相談。4月4日、刑事告訴した。
9,6月1日、警察は大学生の男6人を集団準強姦の疑いで逮捕した。うち1人は容疑を認めているが、ほかの5容疑者は「合意の上だった」「見ていただけだ」などと否認していると警察は発表した。
10, 同日、学長の記者会見があった。「教育的な指導を成功させるために発表しない」と拒否したが、4時間にわたるつるし上げによって「対応が遅くなったのは被害者の女子学生の学内や社会に知られたくないという心情を配慮したため」などと、大学側の見解を説明、「卑劣極まりない事件で誠に遺憾」と準強姦を認めたかのように謝罪させられた。


 冷静さを欠いたコメント
マスコミのコメントは一方的に告発者側に立ち、告発者の女子学生に対する学校側の「心理的配慮、人権的配慮など全くない」と糾弾し、「集団強姦を合意する女性などいない。」という前提で否認する容疑者を攻撃している。
また、塩谷文科相は警察に通報しなかっとことを「大変問題だ」と大学の対応が不適切だったと述べ、「教員養成を使命とする大学で、こういう事件が起きたのは誠に遺憾で驚いている。二度とないよう求めたい」と犯罪が成立したようなコメントをしている。


 不公正な報道
この事件において重要な点は、事件当時に女子学生がどの程度「酩酊」していたかである。関係した6人を特定していることから、すぐに「心神喪失」状態であるすることはできない。抵抗することが不可能だったとすることは簡単だが、抵抗の有無、抵抗する意思の有無に関しては当事者間で違っている。逮捕された側の5人が「合意」があったと認識しているからである。
同事件において五人が逮捕容疑を否認し、一人だけが認めている場合は警察によって自白を強要されている可能性も考慮しなければならない。
いうまでもなく、警察発表は一方的なものである。逮捕者側の発表も同程度に扱うべきであるが、それは一切ない。公正な報道が為されていない状況で、逮捕者や逮捕者が所属する大学などを一方的に攻撃するのは不公正を助長することになるのである。
逮捕されただけで、まだ立件もされていない事件に対して安易な決めつけ報道である。


 「合意」の可能性
複数の男性を相手にして楽しむ女性はいる。そういう女性にどういう心理でそういう状態を受け入れたか聞いてみると、「犯されている感じですごく興奮する」「異常な状態に興奮する」「多くの男に同時にサービスされているようで気持ちいい」など、普通の性行為より強い興奮が得られたことを述べていた。さらに、どういう状況で行われたか質問したところ、「性的な行為があるパーティーハプニングバーなどで羞恥心と好奇心で興奮していた」「飲み会などで飲酒し、開放的な気分になっていた」「女性が自分一人で他の男性に祭り上げられ気分が高揚していた」などとそもそも、高揚感が高まるような状況にいたと述べた。
これらのことから、普段はできない非常識な行為も状況によって「合意」してしまうことは十分にあり得ることである。このような状況によって本人がした判断であり、例え飲酒して相当に酔っていたとしても、一概に心神喪失や抵抗することが不可能な状態とすることはできないだろう。
しかし、この行為を女子学生の保護者の立場で「合意」があったと認めることができない心理は理解できる。母親が主導的に大学や警察に被害を訴えているのである。女子大生は大学側から聞き取り調査を受けたとき曖昧な態度であった可能性は考えられるのではないか。だからこそ大学は「合意の有無」について判断がつかなかったというより「合意」があったと感じたのではないかと思う。


 大学の対応
大学は聞き取り調査により「強姦」「準強姦」について成立しないと判断した。それについて、聞き取り調査の内容を知らない者が批判することは簡単にできるものではない。公共の場で性的行為をした疑いに対し、男子学生だけを処分にしたことは厳密に言うと不公正である。しかし、女子学生側が被害者である可能性を考え処分を保留し、告発することも含めて女子学生に委ねた判断は冷静だと思う。
国立大学職員はみなし公務員として告発義務がある判断されるかも知れないが、その犯罪が行きがかりの「公然わいせつ」であると判断し、生活指導の余地ありとし、教育上の見地から告発をしないことは、この場合『職務上正当』と認められるであろう。大学側の判断に疑問がある場合には被害者として告発することも促している。
大学のいう「教育的配慮」とは主に「女子学生の学内や社会に知られたくないという心情を配慮」のことであり、場合によっては刑事事件に発展する可能性を考慮し、当事者双方の人権に配慮して調査内容を詳しく発表しないのは当然である。
被疑者とされる立場の人間が否認している重大な刑事事件に一般の大学などが対応できることは限られている。大学の対応にそれほど違和感は感じられない。


 人権感覚の足りないマスコミや政府
「被告人の有罪を訴追機関が挙証しない限り被告人は無罪であるとする推定」という近代刑事法の基本原則はどこにあるのだろうか。相変わらずの「有罪」を前提にしての大騒ぎである。
裁判員制度」において一般国民にとってこの原則はより重要な概念とされるべきであり、マスコミや政府はむしろこれを強調すべきであろう。
冤罪事件では警察や検察によるでっち上げとも言えるような証拠作りも明らかにされている。西松_小沢事件でも検察の起訴が公正なものか議論されている最中だ。
人権は全ての人間に付与されていることが前提なのである。被害者とされる人たちへの同情ばかりが全面に出て、「公正」という民主主義にとって最も大事な理念を忘れてはいないだろうか。