ナショナリストは3時間後に発言撤回

中山国土交通相は25日に報道各社と行ったインタビューで、「誤解を招く表現があった」として、同日夜、一部発言を撤回した。

 インタビューで中山国交相は、日本への観光客の誘致策を問われた際、日本人の国民性に触れ、「日本は随分内向きな単一民族といいますか」などと述べた。

 また、大分県教委汚職事件について、「日教組の子供なんて成績が悪くても先生になる。だから大分県の学力は低い」と言及。成田空港の滑走路拡張問題でも、「ごね得というか、戦後教育が悪かったと思う」「自分さえよければ、という風潮の中で、なかなか空港拡張ができなかった」などと、建設反対派への批判ととれる発言をした。


 中山国交相は、インタビュー終了から約3時間後、これらの発言を撤回することを各社に通知した。

読売新聞 - 09月26日 02:30


「内向きな単一民族」とする主張には古代から連綿と続く大陸、半島、諸島との交流によって築かれてきた民族性に対する認識が欠落していると考えられる。
もちろん、現代日本アイヌ琉球、韓、中国、台湾など東アジアの各民族を多く含み、単一民族のであるなどという認識が誤りなのは言うまでもないこと。

公教育に最も影響力があるのは予算を組んでいる文科省や地方の教育行政。「日教組」たたきは元文科大臣の責任転嫁。組合幹部が県教委事務局幹部になるという構図は行政と馴れ合いでやっている証拠。県議や教育長(役人出身)も絡んで、官僚・政治家間の腐敗を表しているだけ。
そもそも、学力と組合組織の関係を短絡的に関係づけるとは。東大で何を学んできたのだろうか。

成田空港の滑走路拡張問題と戦後教育の関係も大いに疑問。
「戦後教育」とは「自分さえよければ」と言う教育であったのだろうか。
ちなみに、中山成彬国交相文科相時代の発言にこういうのがある。
「学校でも子どもたちが競争意識を高める風潮を広げていく必要があるのではないか」「もっと子どもたちが切磋琢磨する風潮を高めたい」
また、2002年「国家百年の大計として教育を考える」という論考の中でも、
「教育にはもっと地域性と多様性があっても良いし、もっと競争原理を導入すべき」
「今、学校生活では競争することを罪悪視する風潮がある。社会に出ると激しい競争にさらされる。子どもたちがその格差に戸惑い、新卒者に出勤拒否や離職者が急増している」
「小さい頃から自分を磨くことのすばらしさ、秀でることへの憧憬の念を持つように教えることが必要」
これは教育をもっと多様化し、差別選別教育をもっとすすめ、子ども時代に「激しい競争」に耐えられる準備をさせ、エリートになることへの「憧憬の念」を持つようにすべき、という教育論である。
ずいぶんと都合の良い論である。こういう教育を受けると「自分さえよければ」と言う動機を持つようになっても不思議ではない。

中山国交相は、インタビュー終了から約3時間後、これらの発言を撤回した。はからずも短慮な人格であることを自ら示してしまったわけだ。