全体を否定する

エコフェ見切り捨てに関してー地下生活者の手遊び

エコフェミあるいはオカルト反体制にみられる、今の体制を「全体として否定する」という感覚はアリなのではにゃーかとは思い直しておりますにゃ。

コマーシャルの表現にもエコフェミは流行である。制作費が安く上がるところがこの手の企画を通りやすくしている。
体制を「全体として否定する」ことはその一部を具体的に批判するよりも気楽だ。責任がいらない。民主党に投票して自己満足しているようなものだ。

地下猫本人も「そういう論法は粗雑で杜撰で困った混じり物がいろいろとはいってくることは承知の上」と自覚しているように書いているが、そりゃとんでもない勘違いだ。

50年間で1.5倍になろうとしている世界の人口。そこに生きる人々にその現実は熾烈である。遺伝子組み換え作物が大量に作られ、農薬や化学肥料の研究も進むだろう。
戦場は拡大し、オンナは犯される。
即断が求められ、そうしないと生き延びられない時代がくる。
オカルトははびこり、依存する連中も増えるに違いない。

人間の営みと人間の環境。環境を意識的に作ろうと思うなら、長い目で見て何が最も環境に影響を与えるか考える必要がある。穀物高騰は耕作地拡大と水資源拡充をもたらす。拙速な開発は取り返しのつかない自然破壊をするだろう。目先ことを優先するのがヒトの特徴である。



ユルーい時代を懐かしむことだろう。