読売の軽いノリ__参戦の布石

 読売新聞の集団的自衛権に対する姿勢がよく解る記事である。「東アジアの安全保障情勢は急速に悪化している。」と危機感を煽る一言を加えて集団的自衛権行使が可能な状況を実現しようと詭弁を弄しているのである。
読売新聞 - 2013年08月09日 01:31

小松法制局長官 集団的自衛権見直しの布石に

 集団的自衛権に関する政府の憲法解釈の変更を目指す安倍首相の強い意向を端的に示した、画期的な人事である。

 内閣法制局長官に、小松一郎駐仏大使が就任した。条約課長、国際法局長を歴任したとはいえ、外務省出身者が長官に起用されたのは初めてだ。

 小松氏は「集団的自衛権を有しているが、必要最小限度の自衛を超えるため、行使できない」とする政府解釈の見直しに前向きだ。集団的自衛権の行使容認へ首相主導で布石を打ったと言える。

 内閣法制局は、政府提出法案の審査や憲法解釈を所管しており、「法の番人」と呼ばれるが、内閣の一機関でもある。

 安全保障環境の変化に応じて、必要な政策を実行するため、解釈変更を検討するのは当然だ。小松氏も、解釈変更について「内閣全体で考えることだ」と語った。

 近年、東アジアの安全保障情勢は急速に悪化している。日本の平和を確保するには、集団的自衛権の行使を可能にし、日米同盟や国際連携を強化する必要がある。

 集団的自衛権の見直しについては、政府の有識者懇談会が年内にも提言をまとめる予定だ。

 ミサイル防衛、米艦防護など従来の4類型に加え、偽装漁民による離島占拠のような有事に至る前の自衛隊の武器使用といった課題を総点検してもらいたい。

 集団的自衛権は、国際法上、どの国にも認められている。この権利が行使できないと、周辺国以上の軍備を単独で持たなければ、自国の安全を確保できず、かえって軍拡競争を招きかねない。

 まず集団的自衛権の行使を容認したうえで、実際に自衛権を行使するかどうかは、政府がその時点における内外の情勢を総合的に勘案し、判断すればいい。

 他国の領土への侵入や攻撃はしないなど、一定の歯止めは必要だろう。内閣の交代のたびに、憲法解釈が変わるようでも困る。

 国会としての意思を示し、法的安定性を担保するため、解釈変更に加えて、安全保障基本法を制定することが望ましい。

 当面の課題としての解釈変更へのハードルも決して低くない。

 法制局長官の交代だけで、過去の膨大な国会答弁の積み重ねがある法制局の見解を簡単に変更できる訳ではない。新たな政府解釈に説得力ある理論構成が必要だ。

 解釈変更への反対を明確にした公明党との調整も課題だ。政府・与党内で議論を重ね、接点を見いださなければならない。

 このたびの法制局長官人事を[画期的]と強く肯定的表現することからはじめる。
法制局長官人事で集団的自衛権行使が可能になるとすれば、それは改憲に頼らず武力によって紛争を解決する行為を可能にするということだ。
 集団的自衛権国際法上認められているが日本の憲法はその権利を永久に行使しないと定めている。
それをすっ飛ばして、法制局長官の憲法解釈でやろうというのは、明らかに違憲である。
 公器と自認し、消費増税の枠から逃れようと策略するのなら、まず政府には憲法遵守を求めるべきだろう。


 そもそも、徹底した武装解除を目的にそれを永久的な国是とする覚悟は制憲会議においてもはっきりとしていた。当時は自衛隊のような専守防衛すら想定にしていなかったのである。

 首相幣原喜重郎は以下のように明言している。

__軍備が皆無であることに乗じ、外国が領土を侵すことがあれば、自衛策はどうか―国民の最大関心事のこの問題には、やがて締結される講和条約や国際協定において、我が国が何らかの自衛施設を持つことを認める取り決めが望ましい。永久局外中立国としての保障を求めるべきだ。いずれかの国から必要に応じて兵力的掩護を受ける約束を取り付けるべきだといった意見がある。これらは、いずれも現実の政策として適切なものとは思われない。__

 アメリ連邦議会の上院軍事外交合同委員会公聴会においてマッカーサーは以下のように証言した。

__日本人は、どの国民よりも原子戦争がどんなものか了解している。それは理論上のことではなく、彼らは死体を数えそれを埋葬したのだ。首相幣原喜重郎は私の所に来て「唯一の解決策は戦争をなくすことです」、「軍人としてのあなたにこの問題を差し出すのは非常に不本意です。それは受け入れられないと信じるからです。しかし、私は憲法にこの条項を挿入するよう努力したい」。
 私は立ち上がってこの老人と握手し、「それこそ恐らく最も偉大な建設的措置の一つだ」と言わないではおれなかった。私は「世界はそれを受け入れず、嘲笑の的となるだろう。それを貫徹するには大きな道義上の気力が必要となるが、究極においてそのような気力はその方向を維持できなくなるかも知れない」と言った。しかし私は彼を元気づけた。そして、日本人はその条項を憲法に書き入れた。__


 68年前の今日長崎に原爆が投下された。当時の政府はポツダム宣言受諾のために右往左往していた。国体護持のため玉砕を唱える連中も一部にはいたが、大方は軍が無条件降伏すれば、天皇のことは目をつぶるという米国の言を信じて負けを受け入れるつもりになっていた。第二次世界大戦は勝ち負けにかかわらず世界中を疲弊させた。

 『平和主義』はいまだに半端な思想として扱われる。しかし、幣原喜重郎をはじめとする当時の官僚や政治家の多くは本気でこれを実施する心づもりでいたのである。これを忘れてはいけない。